文学フリマ新刊の製本おわりました

さきほど某診療所で院長と一緒に製本を終えて参りました。

文学フリマの新刊は「SOCIAL BLINDNESS Vol.1 suppl.1」として発行されます。
予価100円です。
36ページくらいのコピー本です
夏コミから日も浅いし研究も進んでいないので、かーるく読みやすいものをサラッと作ろうというというコンセプトでしたが、それなりのものになりました。
文学フリマにお越しのさいは、是非「アキハバラ・アサイラム」までお越し下さい。

SOCIAL BLINDNESS Vol.1 suppl.1
「ノーマルな外見」と感情――長田攻一
ボードゲームにおけるコミュニケーションによるジレンマ――吉津亮介
将来概念にもとづく状況と結びついた役割について――空地裕介
アスペルガー者の社会性と役割理論の考察――渡壁典弘
社会的不確実性の精神病理へ向けて――米田衆介
役割距離の典型性と規範性――青山陽子

チラシ(PDF)

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再販本の「はしがき」より

文学フリマで再販させていただく『アキバハラ・アサイラム vol.1』のはしがきが編集から寄せられましたので掲載させていただきます。
当日はコピー本ながら新刊も用意しておりますので、是非おたちよりください。
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 複雑化していく社会のなかで、社会の変化の速度はますます加速しているようにも見えます。このような状況のなかで、私たちは他者とどうやってわかり合えばよいのでしょうか。世間の様子を見ると、いつも新刊書店の店先には人前でうまく話すための本や、ビジネスチャンスをものにするためのコミュニケーション術といった本があふれています。しかし、そうしたあまりに実用的な語り口のなかでは「コミュニケーションとは何か」という本質的な問いは素通りされてしまい、その作法やコツだけが書かれているものばかりが多いことは、今も昔もかわりません。そもそも、社会においてコミュニケーションはいったいどのような仕組みで成立しているのでしょうか、コミュニケーションを行っている当人たちは何を知覚し、認識し、行動しているのでしょうか。

 この問いについて考えるために、私たちはコミュニケーション研究会という会を立ち上げました。そして一つの学問分野からアプローチするのではなく、社会学、哲学、言語学、精神医学、認知科学など多角的な視点から考えることにしました。

 また多角的な視点をとるという姿勢は研究会のメンバー構成とも関係しています。研究会は主に社会学を専門とする者が主催していますが、他のメンバーは発達障害の臨床に携わる精神科医、自閉症スペクトラム障害当事者(以下ASD者)、ゲームクリエイターなど多様な背景を持っています。

 研究会ではASD者の事例を通して「コミュニケーションとは何か」について考えることがしばしばあります。というのも、彼らは社会的状況の判断を苦手とし、そのために他者との相互作用のあり方が質的に異なることから、私たちが知りたい問いに対してASD者による事例が有益な情報を提供してくれるからです。一方彼らにとってこの問いに対する解は、自らの異質さを理解し、異なる他者のいる世界(社会)で生き抜く戦術を生み出すきっかけになりうるのではないかと思われます。

 では次に各論文を簡単に紹介しておきましょう。

 第一論文「役割を遂行するとはいかなる営みなのか:役割論からみるアスペルガー者の役割逸脱事例」は、社会学や人類学の分野で議論されてきた役割論からASD者の逸脱について考えています。心的状態を他者に帰属させる心の理論からではなく、人々が共在する状況場面から役割について論じることで「社会が見えないという困難とは何か」を、障害者として就労したある女性の事例を通じて検討しています。

 第二論文「自然化された了解概念について」では、精神病理学者K.ヤスパースの了解概念を臨床場面で応用しようと試みる野心的な論文です。ヤスパースの議論における了解は、他者の経験に感情移入した共感によってなされるというような人文学的な言葉で説明されています。しかし、その説明の仕方は自然科学との接続を困難にしていると指摘します。論者は精神医学的な了解概念を現象学的主観の立場から解放して、社会の視点から新しく捉え直す必要があると訴えます。

 第三論文「アスペルガー者の社会性とコミュニケーションの問題:社会的組織における「信頼」と「規範」の考察」は、今日の障害者就労を当事者の視点から鋭く分析していきます。ダイバシティ・マネジメントとは、性別、人種、年齢や障害などの多様性を受け入れた経営方針であり、その方法は人材の生産性を高めると期待されて、近年日本でも導入が検討されています。しかし論者はASD者の特性がいかに労働生産性の低下につながっているのかを、過去の自身の就労体験をもとに具体的に記述してゆきます。また就労を継続させるために論者が生み出した戦術を惜しみなく披露してくれており、大変興味深い内容になっています。

 第四論文「ゲームから見る文化現象の生成モデル」は、ゲームという明示的なルールのもとに限定された環境のなかから、プレイヤーたちによって生成される手(move)にある種のパターンが読み取れる点に着目し、文化が生じるメカニズムを思考実験的に考察した論文と言えます。また人々がゲームに熱中し楽しむことができるのは、ゲームがゲーム環境のなかで独立して存在しているからではなく、日常生活場面のなかにゲーム環境が埋め込まれて展開され、ゲーム環境に日常ルールが浸食している点をE.ゴフマンを引用しつつ検討しています。

 第五論文「「いまここで起きていることは何か」:「空間実践」とメタコミュニケーション」は、コミュニケーションがまさに行われる「場」と、そこで繰り広げられる相互作用を、言語のみならず身体を含めて考えることの重要性を指摘しています。「いまここで起きていること」とは常に意識しているわけではないが、いま(時間)とここ(場所)を規定しているメタコミュニケーションとして重要な機能を果たしています。そもそもいまとここが規定されなければ、我々のコミュニケーションは始まりません。従来、人々はどのようにしてこのメタコミュニケーションを成立させてきたのか、そしてユビキタス社会において人々のコミュニケーションはどのように変容していくのかについて様々な角度から問題提起をしてくれています。

 一見すると本誌の全体構成にまとまりがないようにみえるかもしれません。それは私たちの「コミュニケーションとは何か」という問いに対する考察がまだ足らないことに由来すると思われます。それでも本誌は現段階で、研究会メンバーの一人一人がそれぞれの課題に正面から対峙し「コミュニケーションとは何か」について取り組んだことで出来上がりました。言葉足らずなところが多々あり読みにくいかもしれませんが、ご一緒に「コミュニケーションとは何か」について考えていただくことができたら幸いです。

コミュニケーション研究会
世話人:青山 陽子